「シネ・トランス」と「トランス・ブレヒト」

遅ればせながら、近代美術館で行われたブラジル展の際の講演会を元にした、赤坂大輔さんのテキストをウェブで発見し、そのなかで、ジャン・ルーシュが「シネ・トランス」(cine-trance)という概念を提示しているということを初めて知る。この概念を説明すれば、「フィクション、ドキュメンタリーにかかわらず映画撮影にかかわるすべての人、さらに映像を見る者までが祭儀に参加するごとく熱中し、場合によっては狂気に陥るような状況を名づけたもの」であるようだ。ルーシュの自作『メートル・フ』などによって証左されるこの概念は、とても気にかかってくる。まだ単なる請負でしか知らないものなのではっきりとはつかめないが、なんとなく、自分の関心領域に近づいている。

昨日、『ニュー・ブラジリアン・シネマ』(プチグラパブリッシング)という非常に素敵な本を古本屋で入手。古本なので半額、衝動買いしたものだが、2006年1月出版のほとんど真新しい本なのにかかわらす、存在をまったく知らなかった。この論文集のうち、ロバート・スタム「カブラルと先住民 ブラジル500年の映画表現」という論考のなかで、グラウベル・ローシャの『狂乱の大地』(最近ブラジル国内でDVD発売されたらしく、とてもほしい)について「トランス・ブレヒト」という概念で説明している部分がある。この概念はローシャの映画に見られる独創的な美学を著者なりの呼び方で呼んだものであるらしいが、「ブレヒト理論を熱帯化、アフリカ化、カーニバル化」するものだと書いている。『狂乱の大地』自体は見れていないのでわからないが、『アントニオ・ダス・モルテス』と『黒い神と白い悪魔』を見たときの内的興奮が、外的な理論的枠組みから再び甦ってくる気がした。

「シネ・トランス」と「トランス・ブレヒト」、今日偶然に別々の出典から読み取った言葉だが、二つは共通する概念であるし、ブラジル映画と人類学映画への感心を補強するタ−ムになるだろうと思う。