Dance in Cinema

オリベホールにて、珍しい上映企画が行われた。脈絡のないセレクトによって古今東西の映画が一同に会する。しかし、上映されることのあまりない珍しいフィルムが見られた貴重な企画であった。三本の強烈なフィルムに出会う。


『リオ40度』 1956年/ブラジル ネルソン・ペレイラドス・サントス

 冒頭、リオデジャネイロ上空から空撮された大胆な俯瞰ショットによって幕を開けるこの映画は、ドス・サントスのデビュー作であり、同時にブラジルの映画運動、シネ・ノーヴォの始まりに位置付けられる作品であると言う。シネ・ノーヴォとは50年〜60年のブラジルにおいて高揚した運動であったが、その目指すところには大別して三つの目的、すなわち、1・政治的目的、2・アンチ・ハリウッド、3・ブラジル映画の定義=ナショナル・シネマの創出、が含意されていたという。1964年のカンヌ映画祭において当時のブラジル映画がまとめて紹介されたことにより、グラウデル・ローシャやドス・サントス含め、その存在が世界的に知られるようになった。このブラジルにおける「新しい映画」運動において、その表現の特徴的要素を抽出してみるならば、ネオリアリズム、ロシア・アヴァンギャルドルイス・ブニュエル的手法などが挙げられる。全編を横断するサンバのサウンドトラックを背景に展開されるこの映画は、例えば『オルフェ』の手法と共通するところが多分にあり、物語的な複雑さを含みながら次第にクライマックスのカーニバル前夜に全てが収斂していく設定が、そのままブラジルにおける庶民的時間を体現したものとなる。そこでは庶民的生活者とブルジョワ人種が同じ空間を共有し、しかし共存している姿が悲壮を現すわけではなく、逆におもしろおかしくコミカルさをもって描き出される。これこそ、ラテンの気質なのだろうと納得させられる。階級差があってもなくてもブラジル人は誰もがサンバに熱狂するのであり、この映画のために作曲されたという「私はサンバ」というナンバーを皆で歌い上げることによって、この映画はハッピーな結末を迎えるのである。連鎖劇的な複雑さをもつストーリー構成には様々な場面で破綻があるものの、最終的には理屈の整合性などどうでもよくなり、サンバのリズムに観客自ら体を揺らすことで、映画の需要が勝手に成立する。これはサン・シャーラというブラジル特有の映画ジャンルの気質を受け継いだものなのだ。サン・シャーラとは、実際に現実に行われるカーニバルに備えて、毎年更新される最新の振付けをマスターするため、カーニバルが始まる一二週間前に各地で一斉に上映される映画であり、観客はスクリーン映し出されるその年の踊りを目で見ることによって予習する。つまり、単にカーニバルに参加する人々が振りを身につけるためという目的だけで生産される映画なのである。現在ではテレビにその役目を渡してしまってようだが、かつて量産されたこのサン・シャーラと言われる映画群を一度まとめて目にしてみたいものである。


人間ピラミッド』 1961年/フランス ジャン・ルーシュ

映像人類学と言われる分野の先駆者、あるいは第一人者的存在であるジャン・ルーシュの作品。ジャン・ルーシュの映画などほとんど日本で見る機会のないものらしいので、これは貴重な上映である。もちろんこの作品は日本未公開。だがその貴重さ以上に、まずもってそのタイトルにものすごく惹かれた。「人間ピラミッド」なんていう映画があれば、それは絶対に見たくなるのだ。だが、タイトルから勝手に連想した内要とはもちろん違った映画である。そもそも、「人間ピラミッド」という言葉から連想することなど、十人いたら十通りのものが浮上ことは間違いないが。映画の冒頭ではジャン・ルーシュ本人が登場し、この映画が一つの実験であること、ある実験のために作れる映画であって、それ以外のものではないことがテロップやナレーションをもって説明される。要するに、映画そのものに仕組んだ構造を始めから明らかにした上で、その地点から内要が開始される映画なのである。冒頭の場面でジャン・ルーシュはフランス出身の若者とアフリカ出身の若者を数名集め、これから一つの映画を作ろうと持ちかける。彼の狙いは、映画製作を通じていかに人種の差を越えた交流が産み出されるのかということにある。そこで監督本人含めた話し合いが行われ、その後、主体となる白人黒人双方の自由な討論によって即興的に物語が作られ、双方が混在しながら多様な関係を形作っていく。カメラはその様子を外側から記録し、観客としての私達にダイレクトにその様子を伝えていく。映画の終盤には座礁した貨物船で輪になって遊ぶ彼、彼女らの姿が映し出されるが、そのころには既に、彼、彼女らの融和は達成されたものとなっているのだ。逐一の展開に立ち会ってきた観客には物語としての映画の終わりを感じさせる場面である。そして、その通りにここで映画は終わるのだが、ただし最終部に、極め付けのジャン・ルーシュの言葉が付け加えられる。「映画はここで終わるが、物語はまだこれからも続く」。一つの実績として映画はここで終幕するが、映画のなかで達成された出演者の関係は、映画の実績、あるいは映画が与えた枠組みを突破らって、これからも継続されていくものであろうことが示唆される。ジャン・ルーシュが実験として試みた映画製作は、人間関係を作り上げた。この映画は、その過程をドキュメントするものであると同時に、その目的のために用いられた手段、方法でもあったのである。ある意味で、いわゆる劇映画製作の裏をかいた試みである。一般の劇映画においては、映画の裏側に隠された出演者やスタッフにまつわる物語は表に表出されないものである。しかしそこにこそ、スクリーンから切り離された別な意味において、映画の力が存在している場合もあるのだ。映画というシステムの柔軟な転用、既存の方法にたいするオルタナティブ、これが「ダイレクト・シネマ」と呼ばれるものなのであろう。


アデュー・フィリピーヌ』 1961-63/フランス・イタリア ジャック・ロジェ

フランス・ヌーヴェルバーグの真の最高傑作と解説には書かれているが、この映画もまた幻のようで、日本で上映されるのは2回目だとかということを聞いた。言われる通りの傑作であった。アルジェリア戦争を背景に、徴兵前のフランス青年と二人の娘が過ごす休暇が描かれる。映画前半はパリの出会いから始まる出来事、後半に入り、コルシカ島へとバカンスに出向く場面となる。前半のトーンと後半のトーンが大きく変わっていくのが印象的であった。もちろんそれは風景の変化が影響しているからであるが、同時に登場人物の気分を強烈に反映したものでもである。後半のほうが前半に比べ、どこかがふっきれたようにおもしろくなっていく。島のエナジーを吸い取ったからそうなるのか、徴兵が次第に近づくことからそうなるのか、とにかくテンションが漲っていく様をあからさまに見ていくのは痛快であった。最後のシークェンスでは、ついに帰路に発つために船に乗り込んだ青年と、防波堤から別れを惜しみ眺め続ける二人の娘をワン・ショットでカメラにおさめる場面が出てくるが、蓮實重彦がこのショットの希少性について解説していた。曰く、普通ならこのような場面では切り返しを使うのが定石である。つまり、行こうとする側とそれを送りだす側を交互にエディティングすることによって、一般的にはこういう場合、冗長さを演出するのであるが、それを一つのショットによっておさめ、しかも一つの長いテークによってひたすら捉えるというのは、手法として特異な選択である。見ていて感動的なのは、このロング・ショット、ロング・テークを選択したことよって、防波堤、つまり島の側と、そこから離れようとする船の側とが、いっさいの切れ目なく連続して捉えきれていることである。モンタージュによってはけして発揮され得ない、光景そのものの豊かさ、光景そのものの美しさといったものが、このワン・ショットには溢れていたように思う。