十九歳のジェイコブ
コンタクト・インプロビゼーション
印象派
丸ノ内
横須賀美術館「白髪一雄」展
品川から京浜急行に乗って1時間弱、浦賀の駅に降り立つ。そこからバスで15分、観音崎に到着。バス停より徒歩5分あまりで横須賀美術館に辿り着いた。東京からだと長い道のりである。小旅行に来たような気分が、気持ちを高揚させる。東京湾を遠望するこの美術館の立地は、率直に言って素晴らしい。海のすぐ近くに建てられた美術館の一つとして神奈川県立近代美術館の葉山館があげられるが、個人的には横須賀のほうが好きだ。しかし、どちらの美術館も三浦半島にあることは、この半島の文化が海と深く繋がっていることを表していよう。
「白髪一雄」展。単に足で抽象画を描く作家として認知していただけで、詳しく人物についてこれまでに知ることはなかった。作品単体では、何度か出会ってはいたが、まとめて触れるのは初めての機会だ。アンフォルメル、アクションペインティングなどの用語で紹介される。吉原治良が設立した具体美術協会の参加者である。作品の印象は、それぞれ異なる。ストロークによる表現が、本質にあるのだろうか。絵の具と、それを動かす物の折衝によって、絵画が形作られる。その折衝を起こすのが、白髪一雄である。
『4.48 サイコシス』
『4.48 サイコシス』あうるすぽっと
舞台と客席を反転させた演出に、まず驚く。ひな壇状の舞台上客席の一番上に座ると、舞台となる、あうるすっとの客席スペースが遠望できる。この俯瞰の視点とパースペクティブは、非常に新鮮である。まるで箱庭を眺めるような感覚。あちらに広がる世界が、客席としてのこちらとかけ離れた場所に見えるのは、舞台緞帳を通常とは逆の内側から見ることに起因しているのではないだろうか。舞台の枠組みの中で起こっていることではなく、舞台の外の現実を、ある視点から俯瞰することから、物事が起こっているのである。もしかしたら、この視覚は写真に近いのかもしれない。ピンホールカメラのような、箱状のものの内部にある感覚。飴屋法水の演出は素晴らしかった。
『転倒する快楽』
ロバート・スタム著『転倒する快楽』を読む。日本語で読める数少ないブラジル映画研究の書だが、ブラジル映画研究を中心にしているのではなく、バフチンの理論、主にカーニバル、ポリフォニー、ヘテログロッシアなどの概念を映画分析や文化研究に応用していくもの。バフチン自身は映画には直接言及したことがない、というところからスタムの関心はバフチン理論の映画にたいする有効性を最大限に引き出すことに集中している。語り口は鮮やかだが、終始バフチンの理論体系に話が帰着するため、多少食傷気味になることは確か。しかし、バフチンはやはり面白いし、バフチンを吸収した南米、とくにブラジル文化研究者のスタムという人も、相当面白い人なのだということはわかる。この本のなかで、ブラジル映画についてのスタムの評価が、実はシネノーヴォにはなくて、シネノーヴォ以降の映画にあることを知る。シネノーヴォの映画運動よりむしろ、80年代以降のパロディー映画などのほうにスタムの評価は置かれている。
『世紀末の政治』におさめられたミュニッツ・ソドレの「ブラジルの超政治学」という論考が、ブラジルについて考えるにあたってかなり参考になるが、論旨としては非常にスタムに近いものである。